『人生の帰り道』 漂流図書館
収蔵記録 No.006
『人生の帰り道』
漂着地点:風待ちの丘
著者:綿毛拾い
推定年代:旅を覚えた頃
保存状態:良好。ページをめくるたび、小さな綿毛がこぼれる。
春の終わり。
土手いっぱいに咲いていた黄色いタンポポは、少しずつ花を閉じ始める。
子どもたちは「枯れた」と言う。
けれど、タンポポたちは知っている。
ここは終わりではなく、
第二の人生の始まりなのだ。
黄色い花として生きる時間は、土に根を張り、雨を受け、風に揺れ、誰かと出会い、さまざまな季節を過ごす人生だった。
そして花を閉じる頃になると、やがて白い綿毛へと姿を変える。
その姿を見て、若いタンポポは少し寂しそうに言った。
「もう、おばあちゃんだね。」
近くにいた古い綿毛は、風に揺れながら笑った。
「そうとも言えるね。」
「でも、本当に面白いのはここからなんだ。」
白い綿毛になったタンポポは、毎日少しずつ綿毛を飛ばしていく。
一度にすべてではない。
風の強い日は少し多く。
穏やかな日は一つだけ。
まるで長い旅の途中で、誰かへ手紙を書き続けるように。
若いタンポポは、不思議そうに尋ねた。
「みんな、何を飛ばしているの?」
古い綿毛は静かに答えた。
「黄色い花だった頃の人生さ。」
若いタンポポには意味が分からなかった。
ちょうどそのとき、一陣の風が吹いた。
向こうの綿毛から、小さな白い種が空へ舞い上がる。
それはどこか柔らかな風景だった。
近くにいる花たちまで、少し優しい顔になった気がした。
「あの人は?」
「感謝を飛ばしている。」
また別の日。
強い風が吹く。
勢いよく飛んでいく綿毛があった。
その風はどこか鋭く、まっすぐだった。
「あの人は怒っているの?」
古い綿毛は首を横に振る。
「怒りを飛ばしている。」
「ずっと抱えてきたものを、風へ返しているんだ。」
さらに向こうでは、風に乗るたびに周りのタンポポを笑わせるような綿毛があった。
どこへ飛んでも楽しそうだった。
「あの人は?」
「ユーモアだね。」
少し離れた場所には、静かに静かに綿毛を飛ばしているタンポポもいた。
その綿毛を見ていると、胸の奥が少しだけ締めつけられる。
「悲しいの?」
「悲しみだよ。」
若いタンポポは黙って空を見上げた。
白い綿毛は、それぞれ違う風に乗り、それぞれ違う景色へ向かっていた。
しばらくして、若いタンポポがぽつりと言う。
「感謝を飛ばす人が、一番素敵なのかな。」
古い綿毛は、ゆっくり首を横に振った。
「そうは思わないよ。」
「怒りを飛ばす綿毛があるから、誰かは理不尽に気付く。」
「悲しみを飛ばす綿毛があるから、誰かは涙を知る。」
「ユーモアを飛ばす綿毛があるから、笑って前を向ける。」
「感謝を飛ばす綿毛があるから、優しさは巡っていく。」
風は、どれも区別しない。
優しく吹く日もあれば、強く吹く日もある。
綿毛もまた、自分が飛ばすものを選ばない。
それは白くなってから決めることではないから。
黄色い花だった頃。
誰と出会い、何を感じ、何を抱えて生きてきたのか。
その毎日が少しずつ綿毛になり、第二の人生で風へ渡されていく。
若いタンポポは、自分の黄色い花びらを見つめた。
まだ第二の人生は遠い。
でも、いつか自分も白くなる。
その日になって初めて決めるのではない。
今日笑ったこと。
今日泣いたこと。
誰かを許したこと。
許せなかったこと。
誰かを愛したこと。
誰かを失ったこと。
そのすべてが、少しずつ未来の綿毛になっていく。
春の終わり。
土手では今日も、たくさんの白い綿毛が風に乗っている。
誰もが、それぞれの人生を飛ばしながら。
そして、まだ黄色い花たちは、その景色を静かに見つめていた。